ボクコネを観て思ったこと。
外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
「いませんでした」「いませんでした」
僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう
THE YELLOW MONKEY のJAMという曲です。ボクコネの生臭い余韻の中、妙にこの名曲を聴きたくなりました。
ボクコネのあらすじ
ある日、宇宙旅行に当選した大家さんの田中柚子(中山)はアパートの住民である、板垣恭子(柏木)、萬屋満(真山)、日野さやか(星名)とともに宇宙へ旅立ちます。
しかしその最中地球が滅亡。彼女らは最後の人類として生き残ります。
地球滅亡を受け、船内では添乗員の男ら(上司と部下)に住民が集められ会議が開かれます。そこでとあるスイッチの存在が明かされます。
コールドスリープのスイッチです。これは時間経過による老化を防ぐ装置ですが、装置の内側からの操作は行えず必ず一人誰かが外側からスイッチを押さなければならないものでした。
会議は「人類の存続」を主軸に、誰がそのスイッチを押すべきかと話が進んでいきます。恭子、ミチさん、日野は「人類の存続」という概念に悩みながらも賛同します。そしてこの瞬間、スイッチを押すのはもっとも年老いていた大家の柚ちゃんに決定してしまいます。その後この会議の議題は人間が素晴らしい生物であることをいかに宇宙人に伝えるかに変わっていきました。
次第に3人は大家さんを選んだことに苦悩し始めます。
押す人は自分ではないと言い聞かせるように積極的に会議に参加するミチさん。
怪しげなきのこを食べ快楽に走る日野ちゃん。
部屋に閉じこもり現実から目をそむけようとする恭ちゃん。
それぞれ自分は愚かしいとどこかで思いながら、やはり自らが犠牲にはなれないと苦しむ中、上司の男が処分されたはずの拳銃を発見します。
拳銃が大家さんの持ち物から出てきたため、上司の男は大家さんをおどそうと拳銃を突きつけます。しかし命の恩人である大家さんを助けようと宇宙少女(小林)が不思議な力を発揮し上司は気絶。大家さんはその場を立ち去ります。
その後、通りかかった部下の男は拳銃を偶然手にとっていたミチさんと倒れた上司を目にします。崇拝する上司をミチさんが殺したと誤解した部下は、ミチさんを撃ち殺してしまいます。
さらに気絶から覚めた上司は、部下が拳銃を横流ししたと疑念を抱き部下に襲い掛かります。そしてもみ合いの末二人ともに命を落としてしまいます。
大家さんに呼ばれ部屋から出た恭子は、自分が引きこもっていた間に起きた惨状を目の当たりにします。急いで日野ちゃんに助けを求めますが、頼りの日野ちゃんは怪しげなキノコに体を支配され目も当てられない姿に。ひどくうろたえた恭子は死体の中にたたずむ大家さんと対峙します。そして彼女は震える声でスイッチを押すように大家さんを騙し自らはコールドスリープ装置へ…
上司に好かれたい、自分が作ったものを残したい、快楽を得たい、現実から逃げたい、こんな誰しも覚えたことのあるような感情が人類滅亡の歯車になっている。残酷な結末でした。
やるせない気持ちになりました。
それなら逆にどんな結末なら気持ちよく終わったのか、
- 予定通り大家さんを犠牲にして他が生き残る。
- 上司の男が吊るし上げられ、他が生き残る。
- 恭子が大家さんの代わりに押しに行く。
- 実は全てを理解していた大家さんが自ら押しに行く。
奇妙なことに「利己主義」が貫かれた結末でも「利他主義」を賛美した結末でも、「そんなんだったら滅んだ方がまし」と私には思えてしまいます。
そこで考えついたのは「人類の存続」という概念にはどれほどの意味があったのかというところです。
一般に人類の存続、人類の繁栄には多少の犠牲は必要だ。これは事実だと思います。
ただ同時にこの「我々は高等だ」というイデオロギーはいくつもの悲劇を生み出してきました。戦争やライカ犬がその一つに挙げられています。
悲劇を知っていながら目をそらし、都合よく解釈し、残り数人になっても人間は我々のエゴから脱却できない。新たなライカ犬を生み出そうとする。
生き残るのは私たちな気がする。
そんな我々のエゴは知らぬ間に動力源となり、個人のエゴという歯車へ力を伝達し、機械仕掛けの引き金が引かれる。最後の殺し合いを見ていると、もしかすると人類はこうして滅亡へ進んでいくのかもしれない。そんな風に感じました。
では最後の二人になった時の恭ちゃんの行動は?
恭子は、大家さんが全員殺したかもしれないと考えたのでしょう。そして死への恐怖と同時に自らの罪の代償を思い知った。
そんな恭子が出した答えは自殺に近いものだと思います。彼女がコールドスリープ装置へ向かったのは自らが人類の種になるためでも、生き延びたいからでもなく、ただひたすら一人になりたかったからではないでしょうか。
大家さんを騙す恭子の姿は、宇宙少女にどう映ったのか。
愚かだと落胆していたのか、訪れる二人の孤独を憐れんでいたのか…
こんなやるせなく悲しいお話でしたが、唯一の救いは大家さんの柚ちゃんでした。
柚ちゃんは認知症の影響からか、断片的な会話しかできません。どこまで理解しているかもわかりません。住民からもボケ老人などと揶揄されています。
そんな柚ちゃんですが、悲しくなるほど好奇心が旺盛で、ただの住民を家族のように愛し、時には愛に傷つき、人を素直に信じ、そんな姿がなんとも美しくも見えてくるのです。それが少女のように無垢だからなのか、気持ちの赴くままに生きているからなのか、そもそも莉子ちゃんが美しいのかはわかりません。
ただこんな世の中でも柚ちゃんのように今を楽しみ生きられたらなと少し羨ましく思えました。
そして、しばらくしたら
「お昼寝は自分のベッドの方がきっと気持ちいいですよ」
と恭ちゃんを赦しに行って欲しいと思いました。野暮なのは承知です。すみません…
さて話は冒頭のJAMに戻ります。この曲を知っている方ならお分かりかもしれませんがあの歌詞にはその前とその続きがあります。
あのえらい発明家も凶悪な犯罪者もみんな昔子供だってね。
外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう
こんな夜は 逢いたくて 君に逢いたくて
また明日を待ってる
ぜひボクコネのエンディングだと思い再生してみてください。
柚ちゃんが過ごした夜と恭ちゃんが握ろうとしたブレーキが見つかった気がします。
言って欲しくないこと。
「お、復帰?早くね笑」
「おいおい、なまってんだからちゃんとアップしろよ笑」
私が所属する大学のサッカー部のみんなは怪我から復帰する部員にちょっと乱暴に言葉をかけます。
でもこれただの皮肉じゃないんです。
あえての乱暴な言葉をかけることで、休んだ後ろめたさ、復帰の照れ臭さを消し取ってくれる。
しかも言葉の裏に
「ちゃんと治した?」
「もう怪我すんなよ」
って気遣いまで含めるわけだから…
まあ憎らしいくらいにまで器用な真似をしてます笑。
青春の半分以上をスポーツに費やしてきた連中。怪我の辛さとか、復帰するときの不安とかを知っているんでしょう。
今回彩ちゃんがお休みを取ると発表がありました。
正直に言うとかなり心配。「あぁ無理してたんだなぁ」「ゆっくり休んでね」「ヤス推しの方は自分より辛いのかなぁ」。思い立ったらきりがありません。今はあんなにかっこよかったfamily complexの歌詞が辛く悲しく聞こえることもあります。
でも、この心配ムードってちょっと復帰しにくいんです。
周りの心配に焦って早く復帰しようとする。
すぐにまた同じところを壊す。
その傷をかばって違うところに負担がいく。
その辛さを隠してもっと辛くなる。
こんな連鎖に陥っちゃうことが稀にあります。
だから「ファミリー諸君。これ以上ヤスの心配をするな!!」
…って言いたいわけではありません。心配されなさすぎるのも返って辛いしね…
少し心配しながら、復帰を期待しすぎず、相変わらずの日常を過ごす。
難しいけどみんなでバランス取りながら。私たちファミリーならできる気がします。
そうやって彩ちゃんの復帰を静かに待てればいいのかなと思います。
彩ちゃんの体調が回復しレッスンに復帰する時、きっと休んでしまった後ろめたさや復帰への不安が根深く付きまとってしまうと思います。
しかし青春の半分以上をエビ中として過ごしてきたメンバー。ちょっと部活っぽいエビ中。多分このような経験をいくつもしてきたはず。
今回もきっと上手に彩ちゃんを「エビ中の日常」に迎え入れられるのだろうと思います。
じゃあ彩ちゃんがステージに戻ってきた時、私たちファミリーはどうやって迎え入れよう。
客席一面緑色。拍手喝采。
「おかえりー」、「待ってたよー」、「頑張れー」ってそんな暖かい声が飛び交うのかな。
下手なことせずこれで十分な気がします。
…でも少し違う想像もしてみました。
いつもより少し緊張した様子でステージに戻ってきた彩ちゃん。
自己紹介の前に休養のことについて話そうと息を吸うんです。
ふっと静かになる会場。
でもその時、『改まった挨拶はいらないよ!』って声が客席のあちこちから上がって、そのうちに自然に手拍子が始まって。
それで彩ちゃんもその手拍子に合わせていつもどおりに「お待たせしましたっ!」って自己紹介。
そしたら見渡すかぎり緑色に光る客席から「待ってました!!」っていつもよりちょっと大きな声で応えるんです。
欲をいえば「心配かけました」ってあんまり言って欲しくないんです。
だってみんな心配するのは当たり前。それに「私たち言うほど心配してないよ」って強がりたいじゃないですか。
だから
『挨拶はいらないよ』って言葉の裏に
『気にしなくていい』、
『ここにいる時の“私たちも”いつもよりちょっぴり強いんだよ』
って意味を隠して…
とこっそり想像するわけです。